2001年1-3月もも’s ヒストリー2001年1月 あたしの名前がモモのせいかどうかは知らないけど、お医者さんはあたしにピンク色のシャツを着せてくれた。これは傷口をなめてしまわないためになんだけど、ちょっと苦しい。きれい好きのあたしとしてはいつも全身の毛を舐めていたいのに。そんな大変な経験をしてすぐなのに、うちの親ときたらまた怖い車ってやつにあたしを乗せた。お正月とか言う時期で別のおうちにいくらしい。車で2時間くらいだけど、またあたしは訳がわからなくて怖くて嫌で固まった。やっと着いてもまったく知らない匂いのところばかり。そういう時あたしは絶対に誰のところにも行かず、すかさず一番すみの暗いところを見つける。狭ければ狭いほどいい。もう、こっちは病み上がり(?)だっていうのに! そしてまた東京のおうちへ戻る。そろそろこのピンクのシャツを脱ぐ時期らしい。あぁまた嫌な電車に乗せられる。あたしのおなかにくっついてた黒い糸がとれて、シャツもついに脱げた。旅は嫌だけどやっとすっきりした!これでやっかいな“発情期”というやつももうこないらしい。(しかしながら医者いわく「あまりにすごかったから、ちゃんと取り除ききれてなかったらもしかしたらまた発情するかも・・・。まあそんなのは千匹に一匹くらいだけどね。」母「い、いやだ~**」) 3月 冬が過ぎ、春がやってきた。だいたいこのおうちの生活ペースにも慣れ、時々短期でよそのところに預けられることもあったけどまあこんなもんかと、あたしはあたしで自分の生活パターンですごしてきた。よく風邪を引いたり、あごをこすりすぎて毛が禿げたりで、そのたびに嫌なおじさんのいる病院につれていかれたけど。そんなころ、また何か起こったみたいだ! 父さんの仕事の都合でどうも引越しをしなきゃいけなくなったらしい。それも外国、日本からずぅーっと離れたところ。といってもこの時にはそんなことあたしは知る由もないんだけど・・・(この後は怒涛の検疫日記へと続くよ)・・・ふに~ オーストラリア検疫日記へ 2001年12月-へ |